私の年齢が50歳を越え、大学の海外長期留学制限上限年齢に迫ってきたので、思い切って留学の申請をしたところ認められ、昨年の9月から1年間、イギリスのシェフィールド大学で研究に従事することができました。
シェフィールドに対する日本人の知名度はきわめて低く、人口数から見れば、イギリスで4、5番目の大都市であるのに、出発前に留学先を尋ねられたとき、シェフィールドと答えてもその場所が分かってもらえず、マンチェスタから東に車で約1時間強の距離のところにあると説明しなければなりませんでした。
成熟した静かで快適な都市
この日本人にあまり知られていない都市、シェフィールドは都会的なものと農村的なものの両面がうまく溶け合った都市です。
例えば私の住んでいたアパートは商店街へ歩いて数分の所ですが、まわりは豊かな樹木に恵まれ、まるで森の中で過ごしているようでした。リスやいろいろな種類の鳥がしょっちゅう庭に訪れてきましたし、季節の推移につれて刻々と変わる木々の表情は美しく見ていてあきませんでした。
シェフィールド大学もこのような申し分のない自然環境のなかにありました。
この大学は19世紀に理工系の大学として出発した総合大学で、この点は近畿大学の創立経過とよく似ていると思います。図書館の蔵書数も近畿大学のそれと同じくらいで、私はこの図書館や市立図書館さらに市立公文書館に通い、イギリス産業革命期の文献や史料を収集することができました。
この都市で生活して感じたことは、少し乱暴な言い方をすると際立ったものがあまりない街ということで、この事実がむしろ住民に快適な日常生活を送らせているひとつの原因のように思えました。
カンタベリ物語にも登場する町
14世紀にシェフィールドは刃物の生産で有名な町としてチョーサーの『カンタベリ物語』に出てくることはよく知られていますし、19世紀になるとあらゆる刃物を生産し、世界のどの国もこの分野でこの都市と競いあえないと記述されるまでに刃物および金属製造業は成長しました。
このようにシェフィールドは古くからの生産の都市として、言い換えれば実生活の場として発展してきたので、多数のイギリスの都市に見られるような観光客を引き付ける文化的施設は乏しく、ただ、多くのあまり手を加えない自然と点在する産業遺跡が残ったのであると考えました。
こうした状況にあるシェフィールドは当然、産業革命を勉強する私にとって絶好の研究題材を提供してくれました。それらの題材のひとつがオールド・シェフィールド・プレートでした。
オールド・シェフィールド・プレート
 |
 |
|
オールドシェフィールドプレート
|
|
産業革命の前夜とも考えられる18世紀の30年代にシェフィールドの人口は1万人を少し上回る程度でしたが、この数字は当時のイギリスの水準からすれば、かなりの規模の都市を意味し、ダニエル・デフォーはこの時期のシェフィールドを「人口の多い大規模な都市」と書き表しています。
この町の労働力の60%は刃物製造業や地域生産物の製造に従事していて、その製品は国内外に販売されていたと言われます。
このように金属製造業の伝統に支えられてオールド・シェフィールド・プレートは18世紀の中ごろにこの地の新しい製造業として生まれたのでした。オールド・シェフィールド・プレートとは銅の薄板に薄い銀の層を打ち付け、圧延して作られた金属板のことを指します。これは金属の溶解によって銀メッキされた金属板でこれを用いて主に食器類を作り出しました。
この生産工程は1743年頃、シェフィールドの刃物師であったトマス・ボルソバーによって発明されました。当然この方法による銀製品は純銀で作られたものよりも安価に仕上がり、大きな商業的可能性を持っていました。
しかしボルソバーの工程は圧延、打ち型押し、ハンダ付けまですべて手作業でしなければなりませんでしたので、彼の溶解銀めっきの製品の範囲は限られていました。彼はこの発明により新しいシェフィールド工業の基礎を築きました。彼の後継者たちはまもなく坩堝鋼の圧延方法を使用し始め、この工程に馬の力(蓄力)や水車(水力)を導入し、オールド・シェフィールド・プレートの事業を発展させました。この新材料による製品の種類も一層多くなっていきました。
産業革命下もてはやされた製品
1795年には蒸気動力が溶解めっきの工程で採用され、19世紀の初期までにオールド・シェフィールド・プレートの製造は魅力のある成長産業になりました。純銀の製品よりも半分の価格で販売され、しかも純銀製品と見分けがつかないこうした製品は流行の服装や装飾に敏感な当時の富裕な中産階級に喜んで迎えられたと思われます。
しかしながら、19世紀半ばに電気めっきの製法が生まれると、オールド・シェフィールド・プレートの製法はそれにとって替わられ急速に衰えていきました。
シェフィールドの産業革命
シェフィールドの産業革命は鉄鋼業、すなわち生産の中核をなす工業とともに展開してきました。他方、中世以来の刃物製造業の伝統は18世紀にオールド・シェフィールド・プレートのような製造業をも生誕させました。しかもこれによって作り出された日用品は、より高質の日常生活を望む当時、興隆してきた中産階級の欲求に一致し、その製造業はシェフィールドの産業革命を構成する重要な工業部門まで発展しました。
この事実は従来の産業革命の研究と異なって贅沢品の生産においてもその研究が成り立つことを示すものです。シェフィールドは明らかに鉄鋼業と並んで、奢侈品(しゃしひん)工業の領域でも、古くからの刃物製造の技術を背景に、別の形の産業革命を経験したわけです。また、このことがシェフィールドの産業革命の際立った特徴のひとつになりました。
さらにこれらの溶解銀めっき製品が当時の人々の生活水準向上に貢献し、しかもそれらの販売先が中産階級であったという事実は、産業革命を生産の革命と同時に消費の革命であったと把握する1970年代以来の産業革命論の新たな傾向に、疑いもなく貴重な研究対象を差し伸べています。
つまりオールド・シェフィールド・プレートの研究を深化することを通して、経済史研究者は新規の産業革命像を組み立てる可能性を持つことができるのです。
シェフィールドに1年間住み、自分の研究対象である産業革命についてこのようなことを思いつきました。(この拙文を作成するにあたり数冊の研究書を参照しました)。
▲TOP